「私達はその日、震源地近くで地震に遭遇、即座に帰宅を判断して無事戻りました」
(レクリューズ艇からの寄稿記事)
今年は年末年始をスキー三昧して過ごそうと決め、29日に妙高高原に向かって出発しました。宿は若い頃(いつが若い頃か?という話はさておき、30年前からのお付き合い)から通っている馴染みの温泉宿です。天候の良い時はスキーを楽しみ、そうでない時は近く(とは言っても車で1時間は走る)の温泉地に車を走らせました。
地震が起きたのは1月1日16時21分、その時私達は「松之山温泉」(新潟県十日町松代、掲載写真)からの帰路にあり、妙高村に入って国道18号を80キロぐらいで快走していました。後ろの席から「また、能登半島で地震があったみたい」とスマホの画面を見ながらの副長の声、その直後に今度は乗車(3人)全員のスマホからけたたましい警報音、そして私自身が車のフラフラ走行を感じた途端に横に1mくらい飛ばされました。前後を見やれば対向車も含め車は連続状態、先ずは車を路肩に緊急避難させました。その中にあっても我々の車の横を抜き去っていく車もありましたが、余震のたびにテールランプが赤く光り、次々に側道に車が避難するようになりました。
約1分で最初の大きな地震はおさまりましたが、余震がずっと続く中でも宿へ車を走らせました。途中、食料、飲料確保のためスーパーに立ち寄りましたが、店内は陳列棚のガラス容器が床に落ち、そのほとんど割れて店内を歩けないくらいに散乱していました。宿に戻れば、奥さんが震えながら涙を浮かべて「家の耐震も分からず、家の安全も保証できないから、帰った方が良いと思う」とおっしゃるので、急遽帰宅を決断しました。その時点で長野道の上越〜信濃町間は通行止め、北陸道も柿崎から富山、加賀方面は通行止め、国道も崖崩れで通行止めになっていました。そこで、国道18号を北上するのではなく、遠回り覚悟で南下し、中央道、名神を使って帰る方法を即決しました。
結果は大正解、帰宅を決断するのが早かったこともあって、一切混雑することなく名神高速に入れましたが、東行き(上り線)は赤色灯を回転させた消防車、特殊作業車などの車両が20〜30台の集団で追い越し車線を走っていました。300台はあったと思います。
(事務局より)
記事の寄稿ありがとうございました。送って頂いたメールも業務報告のように正確で驚きました。ところで、昨年は恒例のNYOC年末飲み会もタイミングを逸してできませんでした。そこで新年、どこかのタイミングで飲み会のアレンジをしてほしい、との声が届いております。本件、ご指示いただきたく、よろしくご検討ください。
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