「塩生山」は、「はぶ山」と読むそうです!

(Rera艇からの寄稿記事)

「HAPPY」艇の寒中クルーズ(尾道、鞆の浦(仙酔島)の寄稿記事を楽しく読ませてもらいました。さて、私の方は今日(26日)はいい風が吹いていたので、この前のセーリングで破損したメインセールのスライダー交換をして、出航と思っていたのですが、意外と時間がかかり、気がついたら昼過ぎになっていました。

「Rera」のメインセールは、セールに細いナイロンベルトでスライダーを取り付けてそれをグルーブに通して固定しているので、壊れたスライダーを交換するには針と糸を使った慣れない作業をする必要があります。老眼鏡を忘れてきたので、針に糸を通すのも大仕事、時間がかかってしまいました。終わってみれば出航するには少し時間が遅くなってしまい、船内で遅い昼食を食べてマリーナを後にしました。しかし、重要部品と思うのに紫外線による経年劣化も考えて他の部材選択はなかったのでしょうかね。

という事でいつもより早くマリーナを出て帰路に着くことになりました。そこで、寄り道をして詫間湾を東西に分ける形で突き出している小高い半島?にある「塩生山」に登ってみました。

一番最初の写真は頂上から西方向を見た景色で、左の山のような陸地が「荘内半島」、右側からでているのが「粟島」です。「粟島」の向こうにぼんやり見えるのが「六島」で、その左にさらにぼんやり見えるのがたぶん「宇治島」です。

「塩生山」は標高141mなので登山と言えるほどの山ではないですが、登山道はそれなりに整備されていて、途中には俳句を書いた短冊が沢山吊るされていたりして意外と楽しめました。桜の季節にもう一度行こうと思っています。

しかし、どうして「塩生山」を「はぶやま」と読むのでしょうか?どなたかご存知ありませんか?


事務局より

お答えします。「塩生山」のある地区は江戸時代に赤穂で塩田に従事していた塩作り職人たちが集団で移り住んだ地区だそうです。地元には余りいない小林姓を名乗る人々が多いのだそうです。彼らはもともと現在の兵庫県と岡山県の境にある赤穂市「塩屋」にルーツを持ち、旧地名は「墾生(はぶ)」という村だったそうです。そこの出身なので、塩を生む(塩田)という意味でつけた「塩生」という名を「はぶ」と呼んでルーツを明らかにしていたそうです。

以上、地元「浪打八幡神社」の吉田宮司のお話でした。

Nio Yacht Owners' Club

仁尾ヨットオーナーズクラブ - NYOC(仁尾マリーナ)

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