メンバー艇紹介
NYOC(仁尾ヨットオーナーズクラブ)のメンバーの中から、オーナーの了解を得られたメンバーの一部の艇を順次紹介しています。(五十音順)
AO(コンテスト-48)
2021年春、マーローハンター31を手に入れて横浜から回航して仁尾マリーナにやってきました。一年後の今春、ご縁があってNYOCのメンバーから愛艇を譲り受けました。31フィートから48フィートへの大跳躍で、馴染むまで時間もかかり課題も山積ですが、NYOCの皆さんのネットワークに助けられて、静かで穏やかな燧灘でのデイセーリングをチーム3人で楽しんでいます。船名の「Ao」はハワイ語で日光、夜明けを意味するそうです。チームのメンバーの好きなウイスキー「碧」から拝借したという説もありますが・・・
EMI Ⅳ(ビクトリア-800)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
オールドサーバント(ヤマハ-26C)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
風(キャナル-25)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
KIKI(バンクーバ-26)
徳島県在住で仁尾まで通っています。ちょっと通勤距離は長いですが、マリーナの施設と素晴らしい多島海の景色に魅せられて2011年に移ってきました。現在のKiKiはリベッチオ(26)→バンドフェット(30)→バンクーバー(28)の3艇目。鳴門の日の出湾、徳島ケンチョピアそして仁尾マリーナ係留場所を移ってきましたが、どこでも楽しいヨットマンが私のヨットライフを支えてくれています。
ka-2(カタマランBali-4.1)
昨年まで横浜ベイサイドマリーナに船を停泊させていましたが、本年2022年5月に瀬戸内海に魅了されて、仁尾マリーナに船を回航させて来ました。瀬戸内の海を満喫しております。
65歳定年を迎えまして、2年前に船舶免許を取得しました。海、船に関しては、ど素人であります。
今は、勢いと臆病に留意して、オーシャンライフをエンジョイしております。
ケイローン(オカザキ-32)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
サンライズ(NISSAN 23EXⅡ)
釣り専門でもう20年。周囲からは「釣りバカ」と呼ばれています。趣味が高じて艇オーナーとなりました。春ならアオリイカ、夏はタイ、秋はサワラ、冬になるとメバルなどを追い求め、釣れると思われる日には、仕事を調整して釣りに出ています。
昨今、瀬戸内海で魚が釣れなくなっているという話をよく聞きます。その理由はプレジャーボートによる乱獲という人もいますが、私の目からは気候変動で水温が上がり、魚の隠れ家や卵の産み付け場所となる、アユモが減っていることが大きな要因だと思ってます。NYOCの皆さんのワイワイガヤガヤした感じが好きで、メンバーにさせていただきました。
ジッポ(DELPHIA-31)
船名のジッポは家族で可愛がっていた愛犬の名前、船体のイラストは娘が描きました。2016年にYBMで進水、2018年から仁尾マリーナをホームポートにしています。
東京在住ですが、観音寺市の豊浜に部屋を借りており、月に一回程度、車で700キロを走ってきます。私は62歳で小型船舶免許を取得し、YBMのヨットスクールで初歩から教えてもらいました。その後、海外コースにも参加して、ヨットが盛んなバンクーバー、タヒチ、クロアチアなどを見てきましたが、瀬戸内海はそれらに匹敵するくらい素晴らしいゲレンデだと思います。仁尾マリーナのオーナー仲間はじめ、ヨットスクールの卒業生や関係者、行く先々で出会う地元の方々との交流を楽しみながら、瀬戸内海でのヨットライフを満喫しています。
シムーム(ベネトーファースト-405)
1989年頃の建造と思われます。進水は香港です。
2019年に開催された「瀬戸内国際ヨットラリー」参加の為、神奈川から回航して来て瀬戸内の船文化に触発されました。本来は8月にVelasisに戻る予定でしたが台風の瀬戸内直撃により安全な仁尾マリーナに避難して、その後腹を決めてSimoomを仁尾マリーナに係留する事に決めました。私自身ほとんどの船の仕事を自分で行います。それを見たNYOCメンバーからお誘いを受けて喜んでメンバーに成りました。今年は宇多津にアパートを借りてヨットの基地作りにも精を出しています。
ナンシー(かもめ)
NYOCのキャラクターメンバー「ナンシー」です。メンバーの中には鳥の私を嫌ってクラブ旗を掲げてくれない方もいるようですが、それにもめげず、「仁尾マリーナ」上空とその周辺海域を回遊して、日々皆さんの操船の巧みさに涙しています。因みに有名な「かもめのジョナサン」は遠い遠い親戚にあたると聞いたことがあります。
HAPPY(ポーナム-35)
2016年にかつてのホームポートである佐島マリーナから、厳島神社往復クルーズの際に立ち寄ったことを契機に、ホームポートを「仁尾マリーナ」に変更しました。2022年からは兄弟マリーナでもある「新居浜マリーナ」に移りましたが、皆さんの御好意で引き続きNYOCに在籍しています。オーナー自身も当地域に移住して、クルージングを楽しんでいます。NYOCの艇種にこだわらないオープンな雰囲気にほだされて、メンバーとなりました。
春香(信天翁)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ビスターリ(ナウティキャット-385)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
フェアリー(オカザキ-33)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
マン、フライディ(トローラーイーグル-32)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
雅(ジャヌーサンライト-30)
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ららんじゃ(セーバー-34)
1990年にアメリカ東海岸で進水したSabre34です。6年前の2016年に三河湾にあるマリーナでこのヨットを入手しました。初めてのヨットでしたが故郷の瀬戸内に持って行きたく、2年近く三河湾でセーリングを見習い、いくつかヨットに手を加えて、2018年に仁尾マリーナに回航してきました。太平洋に出て結構荒天に出逢い漁港に逃げ込んだりしましたが、小さいながらも頑丈でしっかりした造りのようです。
なんでも作ったりいじるのが好きで、このヨットにはスタックパック、ドジャー、ボートダビット他を作成、その都度パイプベンダー、Tig溶接機等工作機器が増えています。次は沖縄へのセーリングを夢見ていますがヨットは大きなおもちゃで手がかかり、そこがおもしろいのですが、なかなかその準備まで届かない状況です。今回コクピットのチーク板張りが素人細工ながら完成して居心地がよくなりました。当分島巡りのセーリングを楽しみたいと思っています。
レクリューズ(ナウティキャット-42)
艇は1998年フィンランドで建造され10月に進水しました。何度か「仁尾マリーナ」をクルージングで訪れ、その度毎に海の美しさ、マリーナの佇まいに魅了されてきました。そこで思い切って2011年のGWにホームポートを在所(岡山県)から「仁尾マリーナ」(香川県)に移しました。そこには地元のヨットオーナーの元へ三々五々集まり、コーヒーを頂くというキャビン茶話会の慣習がありました。この会が時間とともに発展、NYOCとなりました。立派な名前となりましたが、自由・平等の精神のもと皆で相談し合って決めるルールは今も健在です。
レラ(ニュージャパンバンドフェット-30)
沖へ出て釣りがしたくてボートを購入しマリンライフをスタートしましたが、気が付いたら沖へ出てセイルを上げていました。今は良い仲間に恵まれ、のんびりマイペースでヨットを楽しんでいます。ちなみに、船名のRera(レラ)はアイヌ語で「風」の意味です。
ワイヘケ(ヤマハ26C)
現在、三重県津ヨットハーバーにてヤマハ26Cに乗っております。元々スナイプ乗りで、シカーラ、シーホッパー、トッパーとディンギーを乗り継ぎ、レースをこなしておりましたが、40歳からヤマハ26Cに乗りはじめクルージングに専念する様になりました。
東京にて退職後、香川県仁尾マリーナに5年間船を係留、その間家内と二人で別府に3度、和歌山マリーナシティに2度の瀬戸内航海をさせて頂きました。詳細は「こちらのブログ」を参照してください。私にとりまして、NYOCの方々と知り合いになれましたことは一番の宝物、ですから「津ヨットハーバー」でもNYOCの旗を掲揚して懐かしんでいます。